入院、手術、退院について簡単にご報告します。
12月9日慶應義塾大学病院に入院。11日に頚椎後縦靱帯骨化症の手術を行いました。
手術は「片開き式頸部脊柱管拡大術」という首の後方から頚椎にアクセスして脊柱管を広げてセラミックだかチタンで補強する感じの手術でした。
だいたい三時間くらいだったか。
前方から行う方法もあるようなのですが、今回は後方から行う手術がギリギリできる範囲の後縦靱帯骨化症だったので後方からとなりました。
前方からだとリスクが大きいとのこと。
でも、次に手術を受けるとしたら前方の可能性が高い様な気がする。
頚椎後縦靱帯骨化症は、首などの強いコリ、手足の痺れ、歩行の危うさ、階段の上り下りの困難、巧緻運動障害でボタンの掛けにくさ、箸が上手に使えない、排泄障害などなどあります。
自分の場合も首の凝りや手先足の痺れが2016年辺りから目立ち始めて徐々に進行していった感じでした。
ここ1年ほどは階段も歩行も簡単につまづいたり、ボタンの掛けにくさや普通の箸も使いにくいなどの症状が目立ち始めていました。
6月の自転車と衝突事故の際に打った腰とは違うところにドクターがフォーカスをあてて「これ難病だよ!」とあったのでした。
慶應義塾大学病院の紹介状をいただいて受診。数回受診して、ひととぶつかって倒れそうになった、エスカレーターの下りに乗るときに失敗して危ないことが目立つ様になった、と言うのもあり手術の選択となったのです。
慶應義塾大学病院は脊椎・脊柱など臨床例も多く、今回の主治医もエキスパートなドクターなのでした。
なので手術に関しては妙に安心していたのも事実。
術後でも痺れなどが残るのも覚悟しているし、6割戻れば良いかなあって手術前のオリエンテーションでナースに言った感想。
「前向きすぎる」様な事も言われたんだけど、こっちとしては最善手を打った訳だから後は野となれ山となれって感じなんですよね。
麻雀だって危険牌でも切らないとダメな時ってあるじゃないですか(何という例え
手術前日の説明が面白かった。講演もするドクターなので話がうまい。フンフンと聞いていて最後に「手術中や手術後なにかあったとしても慶応の総力を挙げて対応しますから」とひと言。
そこまで言われたら仕方ない(みんなに言っているとは思う)
手術前日に阪神ジュベナイルフィリーズを的中させていたので、運があるなって感じもしていた。
手術当日の朝方浣腸を打つ訳です。手術は全身麻酔の元で行われるので。
このときトイレに籠もったとき、迷走神経なんとやらを起こしたのか血圧が一気に下がったのか気持ち悪くなって仕方なかった。ナースを呼んでベッドに横になり手術時間を待つ。
11時予定も、先の手術が押しているのか13時頃手術となりました。歩いて手術室まで行くことになっていたのですが、ふらつきが酷いので車椅子で。
手術室は倉庫の様に広い空間。思っていたのと全然違う。ドクターやナースたちは落ち着いている感じ。離れた場所で談笑とかしていた。
名前を呼ばれて確認。「昨日、馬券を取ったから上手くいきますよ」と言ったらみんな笑っていた。
たぶんそう言うことを手術直前に言うひとは少ないと思う。
全身麻酔を始めるときには記憶が消失。「制服とか好きだからー!」とか叫んで全身麻酔にかかってないことを祈るのみ。
麻酔科の先生には「何か面白いことを言っていたら教えてください」とはお願いしたのだけどね。
しっかり目が覚めたのは集中治療室。
痛いと言うより訳が分からない。でも結局痛い。それ以上に酸素マスクがかったるい。術後8時間は酸素マスクをつけてないとダメらしい。そして足には塞栓予防のための脹ら脛をマッサージする装置が。これをひと晩はつけるとのこと。
夜には僕の状態も安定していて、集中治療室から一般病棟に戻りました。
痛さも顕著だったらけど、足が気持ち悪くてベッド上で七転八倒。疲れ果てて朝5時頃寝たのかな。
朝食から食事再開。これが食べる気が全くしない。それでも食べないと治るものも治らない。パンだったのでちぎって食べて牛乳で流し込む感じ。
助かったのは車椅子に移乗できる状態なので、足のマッサージ器は外して貰えた。気分的に楽。
それでも点滴や頚椎から廃液を出すためのドレーンがついているので自由度は全くない。
かといってジッとしているのも問題な訳で、離床して軽いリハビリがはじまる。
ナースと一緒に歩行器を使って廊下を歩くことから。
首の筋肉を切っている訳で座位の状態だと首を支えるのが辛すぎだったので歩く方が楽だった。
たぶん全身で首を支えることが出来たのだと思う。
ベッド上で座位を保のは困難。とにかくガクガクする感じ。2日ばかりはこんな感じだったかな。
主治医からは胸を張って生活をしてください。と言われる。首の手術なので俯いていると筋力が落ちて姿勢も悪くなり、予後にトラブルも起こしやすいと言うのもあるのかな。
それを意識しないと、首が前に落ちてしまう状態で固定されてしまうのもあります。
手術後は肩も痛くて食事も痛くなる前に食べられるだけ一気に口に運ぶ状態。食器などを持つのも痛くて大変だった。
痛い痛い書いているけど、いままであった痺れが解消されていたのは驚きだった。
点滴とともに痛み止めもついていて、自分がそれ専用のボタンを押すと痛み止めがブーストされる感じ。
最初は何度も押しまくった(回数と時間に制限あり)
2日目の夜は手術した辺りが異様に熱くなってうなされた。ナースコールを押す頭がなくて、ただただ大変だったな。
日勤ナースに伝えたらアイスノンを使えば良かったのに、と。
それ以降アイスノンを常用しました。
結局、熱発も続き6日間くらいは38℃近くまで熱が出る感じ。怠い感じはしてなかったので大丈夫だったのですが。
あとアイスノンを使い続けた理由は、枕が合わなかった。枕が高い感じがしてしんどかったのです。タオルを二重に巻いたアイスノンを使うことによって好みの高さになりました。
術後3日目の朝にドレーンが取れて点滴だけに。点滴だけになったら、点滴を押して自由に歩ける状態。トイレにもひとりで行けるので良かったな。
首とか肩とか違和感バリバリだったけど、歩けば何とかなるだろうの一心で廊下を何往復もしていた。ちなみに一往復で100mです。
5日後に全ての管が取れて楽な状態に。手術のあとの痛みはだいぶ軽減。痛いけど。違和感が酷い状態が続いていた。
理学療法士と共にリハビリもやっていたので、それの自主練も必死にやっていたなあ。
2階にコンビニがあるので歩いてコーラーを買いに行くのが楽しみだった。
やたらとスタスタ歩いていたのでナースたちもちょっと驚いていたのだけど。歩くことに関しては、やはりIngressで鍛えられた脚力って言うのはあるのだと思う。
しかし首肩は苦労した。食事とかは出来る様になったけど、文字を書くような作業が厳しい(これはいまでも)
便せん一枚程度で肩が重く痛くなって辛かった。キーボードも持っていたので打ち込んでみたけど、それですら痛くなっていた。
こればかりは時間を掛けるのと徐々に書くペースを上げていくしか無いなあ、とリハビリがてらお手紙を書いていました。
理学療法士直伝の運動も功を奏したのだと思う。術後10日ほどでだいぶ楽になったかな。
それでも体力のゲージが相当削られているのが分かるレベルで疲れやすくて仕方ない。
その辺の回復を含めて17日間の入院生活を送りました。
帰りは電車と思ったけど、無理すぎだったのでタクシーで帰宅。
簡単に書きましたが、こんな感じです。
痺れはだいぶ軽減されました。動きすぎると疲れやすい。また足が突っ張った感じがする、痺れが少し出てくるなどあるので、無理しない程度で動く感じかな。
頸椎後縦靱帯骨化症は指定難病のひとつ。完治ということは無い病気なので、いつ症状が復活してくるのかも謎な病です。
いまは、普通の人ぽいのだけど、それと比べると状態は落ちます。日常ではヘルプマークを付けて生活を送っています。
仕事はそろそろ復帰予定。力仕事という側面が少ない職場なので何とかなるかなって感じ。
最後になるけど、慶應義塾大学病院一号館の病棟は綺麗で良かったです。それなりの速度のwifiもありネット環境も問題なし。セキュリティーボックスもそれなりに大きいのでタブレットまでなら余裕で入る。ナースもドクターもみんな親切でした。
再度入院となれば慶應義塾大学病院を選択しますね。
ちなみに今月、来月は実入りが少ないので同人誌を購入していただけると実に助かります。BOOTHでダウンロード販売も近々始めます(直球勝負)