ろくめん☆ろっぴ

サークルろくめん☆ろっぴの同人活動・競馬・ingress・お仕事関係など綴ります。さばかんつなお=どうかんやしま。

ろくめん☆ろっぴ

競馬はいつか微笑んでくれる。

 ハロー!

 自分の人生において競馬は重要すぎる存在なんだと、思い返したり。

 子供の頃のスターは吉永正人ミスターシービーだったし、それ以降は打倒岡部ゆえ柴田政人をひたすら応援して、ウイニングチケットでダービー制覇には自分も涙した。

 坂井千明大塚栄三郎がG1奪取出来なかったことも切ないし、大好きな吉永護は重賞制覇も出来なかった。

 二本柳一馬厩舎のロクメンロッピが好きすぎて横田騎手を追いかけたし、本来ならば二本柳一馬厩舎であったアミサイクロンで重賞制覇した平目騎手のちょっとした悲しい気持ちもくるものがある。

 乾坤一擲の騎乗でワンチャンスをいかした森安騎手悲願の重賞制覇をヒダカハヤトカブトヤマ記念決めたシーンも。長身の森安騎手が必死に追う姿は素晴しいモノ。

 晩年の増沢末夫ユキノサンライズでの逃げ。これは1991年のカブトヤマ記念3着が実に福島の増沢らしくて好きなのです。

「増沢が逃げ馬で3コーナーで振り向いたら負け」というのは如実に出ています。

 前記の坂井千明が打倒ナリタブライアンで挑んだヤシマソブリン菊花賞は今でも涙するし、

 坂井千明に出会ったマイヨジョンヌが輝きを取り戻し、新潟大賞典で実況が「新潟の申し子マイヨジョンヌ!」と絶叫したのもいろいろと泣けてくる。

 スタビライザーやミスタートウジンハヤブサオーカン、トシグリーンユウキトップラン、ゴールドマウンテン、エイシンバーリンスリーコース、ハシノタイユウ、ハシノケンシロウ、ナナヨーストーム、ナナヨーウイング……キリが無いレベルなのですよ。ジョービッグバンブリリアントロードもいるじゃないか、ええ、上げても上げてもキリが本当に無い。

 そんな中でも最大級なのは、サニーブライアン大西直宏騎手。

 1997年で競馬情報をネットで知るなんて無理に近いし、競馬ブック東スポを始め紙情報。そこで厩舎コメントや解説などを調べるしかなかったのです。

 なので、大西直宏騎手とサニーブライアンのストーリーはあとから知ったという感じかも。

 馬主の宮崎守保さんはサニースワローの馬主で、第1回ジャパンカップ日本馬最先着(5着)ゴールドスペンサーも大西直宏騎手というのは、サニーブライアンデビューから判っていたのも事実。

 宮崎さんは大西騎手にラストチャンスを託したのだろうと想像したのです。ブライアンズタイム産駒のサニーブライアンを用意して中尾鉄厩舎に預けるのは。

 大西騎手はそれ以前から追いかけていて、勝てない時期が長いけどひたすら購入していました。

 ええ、成島騎手を買いまくれた間なのでなし得たことです。

 大西騎手が勝てない時期に主戦を務めたアリジャポネやフミノロックアップなども購入したけどキツかったかなあ。

 デビューから96年まで低空飛行なので、馬券購入する人たちには然程存在感がなかったのかもしれない。

 もう、何を書いているのか判らなくなった(笑)

 サニーブライアンでも割と凡走することがあって、いつ乗り替わりがあるか心配していたけど、先ほど書いたとおり自分は宮崎さんを信じるしか無かったし、サニーブライアンは逃げたら勝てる馬という思い込みがあったのです。

 弥生賞若葉ステークスもそれが出来なかったけど、大西騎手が逃げ宣言を打ったときに自分の中で勝つという確信を持てたのです。

 馬券を買うときにこれほど確信があったのは後にも先にもこれだけかも知れない。

 それ以降を書いても仕方ないので省略するけど、サニーブライアンが勝った皐月賞とダービーを的中させて、出版の世界一本でやっていく決意がついて自信が湧いたのですよ。

 とにかく諦めないで、そのときが来るまで刀を研いで待つというのを知ったのは大西騎手とサニーブライアンと宮崎さん中尾先生のおかげなんだよなあ、と。

 彼らがいなかったら、1ピースでも狂っていたら、自分の人生はもっと混迷していただろうね。