生存確認的な記事です。
右往左往するような日々が続いています。就労面というより体調面、及びメンタル面ですね。
10月12日に元上司の久保直樹編集長が亡くなった、との一報が。
いやさあ、10月9日PM1時に氏から着信があったもので心配していたのですが。
だいぶん前から体調を崩していたのは知っていたので、それなりに覚悟をしていたのですけど。
https://rokumenroppi.hateblo.jp/entry/20170519
このとき会ったときはそれほどだったのだけど、氏が歩いていて息切れが尋常じゃなく酷くてまともで無かったので受診を勧めたのでした。
甲状腺の問題と連絡あったのを思い出す。
1991~92年、1997~2013年くらいまで一緒に働いてきて、いろいろと彼の歴史を訊いたり教えていただいたり楽しい時間でもありました。
93~96年くらいはライティングやレイアウトの仕事もふってくれたので、安いなりにも原稿料は助かったな。
編集長と言えば麻雀に競馬かな。
スタンダードな麻雀で強かった、と言うより振り込みをしないタイプだった。一緒に卓を囲んだジジイどもも天界に行ってしまったなあ。
メンツが足りないようだったらいつでも呼んでくだされ。
馬券も上手なタイプだったな。ボクは振り回すタイプだし、一緒に競馬をしていた早見純先生は謎の馬券師(理屈が分からない)。
「芝の重馬場は地方のダートに準ずる」の理論でシンボリルドルフのジャパンカップを的中させた話が好きだった(氏の晩年、この話をしても記憶から無くなっていてそれなりに覚悟をしていた)。
久保直樹編集長から訊いたことはメモにとってあるので、もう少し気が紛れたらコピー誌か何かでちまちま記していきたいところ。
各作家さんの話なども割と編集長から訊いておいたのでその辺も書ける範囲で書きたいかなあ。
久保編集長の名調子「久保です」も好きなんだけど「○○はさあ」(語尾が上がる)の口調が耳に残るかな。
「ヤスジはさあ」「ダーティさんはさあ」「猫井さんはさあ」「くらさんはさあ」
こんな感じだった。
しかし話をきいて一番面白いのは日本文芸社の編集時代な気がする。