――アオキのミツエ、ヨコスカ、ウワマチー♪
とか何とか幻聴があったのもあり*1Gallery Mio YOKOSUKA最寄り駅である横中央駅まで一路京浜急行電鉄でまいりました。
横須賀と目にすると素人は横須賀線で横須賀に出がち。*2横須賀でイベントがある際は最寄り駅を確認しよう。
品川始発も良いけど都営浅草線直通や泉岳寺始発も結構あるので、ルートなどはインターネッツで調べてから行くのが一番。

青木光恵先生のGallery Mio YOKOSUKAへ行くのであえて青色の京浜急行電鉄に乗車して*3横須賀中央駅へ。
東口でも西口でも迷わず降りよ。降りれば分かるさ。東口の場合、改札を出たらエスカレーターでくだり右手に出ると三崎街道という坂があります。うん、その坂を上るのです。上ればGallery Mio YOKOSUKAに到着します。*4
西口なら出て右を見ると坂です。それが三崎街道。最後の直線に入ったらコウタローがぐんぐん追い込んでくるような末脚で駆け上ろう。*5
グーグルマップが実に分かりやすい。上り坂も結構きつめなのでミホノブルボン気分が堪能できます。



赤丸のところに青木光恵先生の「Gallery Mio YOKOSUKA」があります。時を経ている看板建築もかわいらしい。
しかしスタートダッシュが良すぎて10時過ぎには到着していた……。*6

■惚れ惚れする看板建築。銅板のしつらえが素晴らしい。錆びてこその風格。

てなもんで、向かいにあるたい焼き屋「鯛幸」*7でモーニング代わりの鯛焼きをオーダー。あんことカスタードの2ケであります。開店の瞬間にオーダーという状況。口開けの客でした。



店内の壁には小学生たちの感謝状などが掲示されていて地域に根ざすお店は素晴らしいなあ。

鯛焼き片手にGallery Mioを眺めていたら青木光恵先生が開店の準備をされていた。青木先生が「ここで座って待っててね!」とベンチを出してくれたので街の風景を眺めながら鯛焼きにありつく。

鯛焼き美味いがね。あっという間に2匹を片付けてしまった。


鯛焼きを食べつつ歩行者が少ないタイミングを見計らって撮影したけど、実際は大量のジャージ姿の学生さんが列をなして賑やかに歩いていた。競技場があるのかもしれない。

■三崎街道を横須賀中央方面にのぞむ

■ベンチで待っている間、シャッターのところなど気になっていた。
ベンチやギャラリーで待機。ガイドツアー「上町と関東大震災」がはじまる。
横須賀と関東大震災などの話が興味深い。横須賀のあたりが空襲に遭ってない*8のもあり上町にある古い商店街が残った。
関東大震災の被害で街の再開発がはじまり軍用道路でもある三崎街道ができた。やむなく接収された土地の人などが割り振られてできたのがいまのMIKASAショッピングモール。横須賀の街がどのように出来ていったのか、など面白かったな。
上記の件はメモを取ってなかったので間違いがあるかな。でも面白かった。
ちなみに所要時間約60分という状況の中、このギャラリー内の解説で40分を消化。まさに初回という楽しみを感じながら街歩きがスタート。
最初は赤線を引いた「浦賀道」を歩く。
浦賀道は古くは鎌倉時代、鎌倉から三浦半島へ繋がる唯一の道、そして江戸時代は浦賀奉行へ、明治になると軍港がある横須賀鎮守府などへのアクセスで賑わったとのこと。
前述にある関東大震災後の都市計画で三崎街道もできて、浦賀道としての役割は終えた、という感じらしい。
幹線道路の区間になっているはほとんど無いとのこと。
そのような時代背景もガイドツアーで教えてくださり建築&歴史探訪となった。


■上記地図にあるはんこ屋の前あたりから望遠で撮影。

■すごく気になっていた

■浦賀道に入ったところ


■よこすか美容室のロゴがかわいい

■かつてはこちら側がメインだった

■上町深田町会の看板。表記として町がふたつあるのも面白い。

■浦賀道から神明社への石段がある。なんか気になる。

最初についたのがかつて米屋だった建物。石で出来た防火建築。解説を失念しているけど房州石などの石材が使われているぽい。
いまは日本酒バーとして「ヨネヤ」の屋号で営業中。昼はおにぎりの販売があります。

■2階の造りもいいなあ。窓枠とかもきれいに残っている。

■街散歩のテレビぽい写真になった。



■米を運ぶときなど人の往来で削れたと思われる石畳。月日というものは凄いな。
店内の雰囲気が素晴らしい。当時の木材とか風格が違う。冷蔵庫の日本酒が気になって仕方が無かった*9


■天井で使われている木材をいまの時代に用意するのも大変であろう。梁も立派だな。

■ヨネヤの軒先の片隅にあるホーロー看板に気がついた。半分消失。ガイドさんにどこの信用金庫か確認をしたら良かった。
次はみどり屋さんに突撃(?)
立派な看板建築。当時の職人さんがいろいろなデザインを取り入れて銅板1枚1枚加工していったのかと考えると、腕の良い職人の素晴らしさというもに驚嘆する。


みどり屋は大正10年創業。愛知の農家だった創業者が日露戦争のころ横須賀に兵役できたとき賑わいに惹かれてこの地で商売をはじめたとのこと。
関東大震災で店が倒壊。バラック小屋で営業を継続して、いまの店舗となっているとのこと。
1960年代あたりから市内の至る所で神輿渡御が盛んになり、みどり屋も祭礼衣装専門店として経営をはじめる。

■ミドリ屋店内。天井が高いのは、布団などを取り扱っていたからとか*10。物資が足りない時代、愛知県から仕入れた産品が飛ぶように売れた。

■格子造りもすばらしい。ガラスも当時のままかな?

■いろいろ気になって仕方ない。

■考えてみれば、自分の地元足利も繊維産業の街。ボクが居た頃にもこういう感じの店舗が存在したな。


■振り子時計が気になり撮影。お店の人にいつころのものか訊ねると「そこまで古くない」とのこと。それでも50年以上は経っているはず。

■金庫とかレジスターとか階段とか気になる。

■神奈川県知事からの盾があった。

■いまの番頭さんが幼少時のころは使っていたとのこと。*114桁まで対応しているらしい。*12

■居間につながる階段。ドルアーガーの塔ぽい。




みどり屋さんのひとつひとつが良すぎた。店員さんが明るくハキハキ教えてくれたのも良かったな。楽しいひとときだった。


■ガイドさんが「こういう造りのブロックがあったら防火建築の時代と考えても良い」とあった。

■あっち向いてホイの建物に気がつく。三崎街道が後にできたので、三崎街道側に間口を作ったからとわかりやすい解説があった。手前と後ろが繋がってない建物もあるとのこと。

■上から見るとわかりやすい。繋がってないね。青木先生曰く、三崎街道側の店舗は古本屋さん。奥行きがあるのかと思っていたら「めっちゃ薄くて焦った」と青木光恵先生談
次は道を渡って赤線を引いた反対側の小道へ。たいやき鯛幸には人が並んでいた。また食べたかった……。

グーグルマップで分かるように本当に細い小道。飲み屋とかカフェーとかあったのかなあ、という気もする。
ガイドさん曰く「陸軍と海軍は仲がよろしくなかったので、遊ぶ場所もわかれていた」とかなんとか。




■小道に石段があるのを見かけるたび「生活とか大変だよなあ」と思う。


この辺の石積みは房州石などこの地域で採掘した石材を使っているとのこと。当時のままらしい。もしかしたら積み直した可能性もあるとのこと。
あいだは補修されているけど、積んだのは当時のままにもみえるなあ。


■ちょっとトマソン案件ぽい建物が目に入った
そしてゴールはGallery Mio YOKOSUKA。

改装前、貴重な内部を青木光恵先生の解説込みで見学。
今後どのように改装していくのかも教えてくれた。天井の造りも古くて面白い。母方の実家が畳屋で明治時代の建物だった。天井などこのような雰囲気だったな。
天井が高めなので時期によっては寒いような気がする。



■古い建物の階段ってこんな感じだよね。すんごく急なんですよ。思えばお城の階段もこんな感じだよね。

■ガイドツアー中トイレに行きたくてしかなかった。青木先生にお願いしてトイレを借りた。「せまいよ!」のとおり狭い。もちろん和式。面堂なら「狭いよ~暗いよ~怖いよ~」と叫ぶレベル。足腰が芳しくない人間だけど、なんとかなった。


■退廃的な空間に青木光恵先生のかわいらしい作品が並んでいるのも楽しい。空間自体がひとつのアートとして成立している。


■ギャラリーの奥地に収納スペースを発見!*13ここは展示者の一時収納スペースとするらしい。なので貴重な内部写真。石積みも房州石あたりかな。

■漆喰が剥がれている。この辺の修繕もどうなるのか楽しみ。


■シャッターの直下あたり。以前の所有者が自力でシャッターにペンキを塗ったのか、とにかくコンクリにペンキが落ちた跡がある。これはこれで個人的に面白い。
久しぶりに青木光恵先生とお話をして退出した。手ぬぐい1本購入したよ。本格的にギャラリーとして始めるのが楽しみだね。
その流れで上町のあたりを散策する。ガイドツアーに参加した他の人たちもおのおの散策されていた*14


■アーケードが残っているのを見るとかつては本当に賑わっていたのだと思う。観光客も目立たなくて過ごしやすい。
ツアーガイドさんに食事でオススメの店を尋ねたら「立花食堂」とあり立ち寄ってみた。店構えからして違う。歴戦の勇者だ。


■店内にはメニューがずらっと並ぶ。和洋中全て対応。

■扇風機にも時代を感じる。ゆっくり回るのだろうなあ。
メニューが多くて店主にオススメを訊くと「みなさんセットメニューを頼む人が多いですよ」とパチンコ屋の景品コーナーぽいやり取りになっていた。
蕎麦とカツ丼が気になったので発注。商店街にある蕎麦屋という感じの味わいで好み。カツ丼の味付けは濃いめかな。この日はこのあとも歩く気満々だったので酒は呑まずに食事。




洋品店も気になるのは性ですね。致し方なし。



雰囲気ある看板。当時のままなんだろうね。写真のアイコンもいつの時代なのかって。自分の頃、小学校の記念写真を撮りに来る写真館はこう言うカメラを持ってきた。撮影時に少しの間は動いちゃだめなんだ。

歩いていると教会が見えてきたので近寄ってみる。幼稚園併設とかとにかく坂道石段とかで近寄ってはならぬ雰囲気があったので、脇道を進んだ。




なんとなく古い要塞ぽく見えた。たぶん団地だったのだろうねえ。

浦賀道に入ってすぐにあった神明社の石段。これを登ることにした。見た目よりキツいのと、いままで横須賀の坂を上り下りしているのでそこそこ足に来ていた。

■神明社の拝殿。町の神社という感じがして良き。RC造りの社ですね。

■あがってきた石段……。これを下るのは嫌だなあ。

拝殿から横へと抜ける道があり出てみる。

結局は石段なんですよねえ。

防火建築と思われる石造りの建築物に出くわす。これはなかなかの迫力。

横須賀の諏訪神社にお参りしたの。Ingressなどでも結構来ている。

■御朱印もいただきました。書き置きスタイルです。日付は社務所で入れてくださります。
諏訪大神社も横須賀にありこちらにもお参りしたことがある。ちなみに緑ヶ丘女子高等学校の看板もあり「どんな坂を歩いているのか」と試してみたら、映画八甲田山を思わせる行幸となってしまった。あれは泣きそうになった。調べてみると浦賀道だったらしい。
オチとして汐入近くの喫茶店で「緑ヶ丘の生徒さんたちも大変ですねえ」と話したら、「横須賀中央から歩いて行く生徒はいないんじゃないかなあ。汐入からすぐだし」
ですよねええええええ。
歩き回って腹が減ってはイクサー1ということで、横須賀市役所前公園でヨネヤで購入したおにぎり2ケに食らいついた。

■サバと生姜

■シャケ
お米がしっかりしているおにぎり最高に美味い。海苔もまちがいなく一級品。横須賀イチのおにぎりここにあり!
市役所前公園からぐだぐだ歩いてmikasaに到着。久保編集長と歩いたなあ。ここにあった携帯ショップで久保さんの携帯電話を選んだんだ。
久保さんはmikasaにある魚屋で寿司を購入するのが常だった。

商店街の中に豊川稲荷成田不動尊の案内がある。いや以前から知っているんだ。わかっていたんだけど……。

豊川稲荷入り口。ここには結界があるレベルで人を寄せ付けない(ウソ)。しかしながらトビラから先に見える石段には恐れおののいて近寄らないで居た。
久保さんと一緒の時はまちがいなく無理だったのだけれども、それを抜きにしても近寄りがたい。

「しかし今日の僕は違うんだ!」
扉を開けてみたものの目の当たりにした石段に恐れおののく。

マジすかタンホイザ……。

半分近くで振り返るとそれはそれで下界感。

少し登って振り返ると、それはそれで天空感がある。この辺で正直しんどい。

なんとか頑張って豊川稲荷に到着。

なんかすごい風景だ。目の前に見える高層ビルは「ザ・タワー横須賀中央」
東京の旧安田庭園から見える高層ビルには趣も何も感じないけど*15、これはアリだな。地元の人の評価は分からぬが。

成田不動尊にもお参りしたの。御朱印を戴けるとありお願いしました。

豊川稲荷と成田不動尊の御朱印です。

あまりにも急すぎる……。
帰りの石段の途中でコスプレイヤーさんたちとすれ違う。すごくしんどそうな感じだったので「いま半分くらいですよ。がんばって!」と声をかけると、マジかーと言う表情の後に「がんばります!」と決めてくれた。
さすがコスプレイヤー格が違う。

mikasaで気になっていた横須賀洋裁学校の看板。もう存在してないのだろうと考えていた。

きれいな郵便受けがあるということは今なお開校しているのか。mikasaの2階から上はやっているような雰囲気を感じられないのだ。


三笠ビル商店街(1959年竣工)はユニークなデザインで僕は好み。はじめて横須賀中央駅に降り立ったときに興奮したモノなあ。三笠商店街の名付け親は大日本帝国海軍加藤寛治とのこと。

横須賀鎮守府と言えば艦これ。艦これの立て看板もこれ以外にも飾ってあった。
三笠ビル商店街の裏手に「横須賀サブカル娘」というラッピング自動販売機をみかけた。



横須賀サブカル娘とは謎なんだけど、ハイスクールフリートがらみで発案された町おこし的なキャラクターなのかな。
公式ウェブサイトもあるみたいだけど2024年あたりで更新がとまっているご様子。
サブカル娘と堂々と名乗る展開はいまでも続けて欲しいなあ。振り切っていて個人的には観光誘致として好きです。キャラクターもかわいいよね。
そういえば中野ブロードウェイの中にも忘れられたようなキャラクターがいるな。彼女は中野ブロードウェイのキャラクターではないのだけど。

そして横須賀中央駅から都内に戻る。この車両が京浜急行電鉄という感じがする。そして浦賀行の幕をしみじみと見つめてしまった。
横須賀は去年の10月12日に亡くなった久保直樹編集長終焉の地。
命日までに、中野か横須賀で久保直樹お別れの会を開きたいなあ、と考えている。そんな大げさにしないでそれとなくな感じで。
久保さんは大勢でどうのこうのって好きじゃなかったからねえ。