だいぶ時間が過ぎたのだが、2025年3月25日浦和競馬場最終日の内田利雄騎手引退レースなどについて書いていく。いろいろと思い出深い騎手でもあり一気に書き切れる訳もないので回数を分けて書き連ねるとする。
内田利雄騎手の記録や地方競馬に革命を起こしたと言うのをこのブログで記してもキリがないので、知りたい方はwikiで良いので一読していただければ幸い。
騎乗した代表馬は栃木の怪物ブライアンズロマンにベラミロードとなるだろう。これは間違いなくそうなのだけど。
僕個人としては2003年3月3日閉場する足利競馬のファイナルレース足利記念の優勝馬シンボリメロディーが思い出として大きい。
高崎のサンエムキングに勝たれそうな展開、外から捲りを決めて堂々の優勝。実況の藤弘一アナが「みなさんご一緒にありがとー!」と絶叫するとき向こう正面で重馬場のダートで泥まみれ内田騎手が手を挙げるのですよ。とにもかくにも栃木の馬が無事に勝利してくれて嬉しかったし、ここで勝つのが内田利雄騎手だよなってのもなる。
宇都宮、足利、高崎の北関東競馬三場があり、その北関東競馬が崩壊していく切っ掛けが足利競馬閉場というのも悲しいのだけれども。
この下りだけで400字詰め原稿用紙10枚上はかけるけど割愛ということで。
■桜の季節はピンクの勝負服が似合うby日刊競馬
3月25日の浦和競馬場は実に良い天気であった。過ごしやすく競馬日和。ミスターピンクの引退に一番の天気だった。
内田利雄騎手がミスターピンクと呼ばれるのは……写真をご覧になっていただければ分かると思う。
このピンクの勝負服は「桃・白星散・桃袖」という組み合わせ。桃色に白い星。袖の色が桃色ということです。
引退記念にポストカードを用意するというのも粋な計らい。周りにその手の方がいたのかもしれない。受付の方に聞いたら複数枚でも持って行ってください、と確認が取れたので競馬好きの方に送るためにいただいた。
浦和競馬場第10レース「さすらいジョッキー特別」*1でパドックをルルネージュ号で周回する内田利雄騎手。100万ドルの流し目*2がまぶしい。さすがファンサの鬼。
早め早めの競馬で4角3番手につけるも最後は失速しての6着。
浦和競馬場には「ピンクー」「内田!」など声援が飛んでいた。
ボクは手を伸ばせば届きそうな小さな競馬場が好き。
実は、内田利雄騎手の引退レース日は以前から知っていて行きたい気持ちが強くあったのだけど、とにかく自分の再就職先が見つからない、半年かけても見つからない。どうしようかと言う矢先に再就職先が見つかったのだ。
いちど不採用通知があったところから大どんでん返しで内定が出たのだった。
宇都宮競馬がなくなり全国をさすらった内田騎手と比べるのは何なのだけれども、自分としては何かの縁だったのかも知れないと、ひっそり思っている。
とにもかくにも、この浦和競馬場で自分自身も最高の一日がここから始まったのだ。