ろくめん☆ろっぴ

サークルろくめん☆ろっぴの同人活動・競馬・ingress・お仕事関係など綴ります。さばかんつなお=どうかんやしま。

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6月29日中野中央図書館「中野のマルイこれからとこれから」で聞いたこと(中野マルイ編)

 6月29日、中野中央図書館で開催された「中野のマルイこれからとこれから」でメモをしたことを中心として、つけたしつつ丸井中野店についてザックリとまとめました。

 図版は2023年9月丸井本社一階にあるクレジット歴史館で撮影。いまも催されています。広告など楽しい展示なので中野ブロードウェイ散策の流れで観に行くのも佳き。水曜日休館です。

 

1931年2月17日創業。
・創設者は富山県出身の青井忠治氏(銅像が丸井本社ビルにある)。

・青井氏が月賦商でもあった丸二家具(丸二商会)からのれん分けとして丸井を構えた(現在のマルイ中野店の裏手)。
・毎年の創業記念日には紅白大福を社員が食べるという習わしがある。
 これは開業日が大雪となり誰一人も客が来ない中、青井氏の妻が従業員に紅白大福を振る舞って励ましたことから来ているとのこと。
 このことを最近の社員は『なぜ紅白大福を食べるのか』を知らない様子があるとのことでもあった。

1935年 商号を丸井に変更。
 これにあわせて○で井を囲んだマークが制定された。○が縁起が良いのと青井の井からとられた、とされている。

1936年 中野丸井本店が開業する。そののち1941年戦時商業統制の対象となり全店閉店となる。

1945年 終戦後、中野丸井本店は不法占拠をされて東亜閣という中華料理店になっていた。青井氏が取り戻すまで1年半の期間を要したとのこと。
 相手の立場を理解し、時には食材を扱うところを紹介などをして柔軟な交渉を続けて彼らを立ち退かせた。
 東亜閣は東中野に移転。

1947年 中野丸井本店営業再開。

1953年 街頭テレビに人が集まり中野丸井本店2階の床が抜けて負傷者多数。
 これによって報道各社からバッシングがはじまる。新聞四コマ漫画でもネタにされ火に油を注ぐ事態でもあった。
 床の修繕をして早期に営業再開を図りたい現場に対して青井氏はビルの建て替えを決断する。

1957年 丸井中野本店新ビル竣工。営業再開となる。

1972年 丸井中野本店「ファッションのA館」「インテリアのB館」の2館体制。A館6と7階にマルイボウル(ボウリング場)。屋上にはマルイ屋上公園ができる。

1973年 ○I○Iキャンペーンが始まる。○の右下は切れており、これはダイヤル式電話で0を回す指の動作をイメージして作られたデザイン。各店電話番号下4桁が0101と変更になる。

2007年 丸井中野本店閉店。
2011年 地域からの要望もあり同地に中野マルイ再開となる。

 最初にクレジットカード(1960年)をはじめたのはマルイとされている。
このカードは月賦を完済すると発行され、買い物をするとそれが回収されるスタイル。完済証明書の形に近い。
 ほかの百貨店は現金払いが当たり前で、月賦で商品を売る丸井などはラムネ産業(ゲップ)と揶揄されていたとのこと。
 ちなみに丸井自体は日本百貨店協会に加盟をしていない。また丸井も百貨店という表記はしてない。経産省による百貨店の定義には当てはまっている。

1975年 赤いカード(初代)が発行された。星セント・ルイスや後のB21スペシャル「修学旅行」のネタに「丸井の赤いカード」が登場する。

 アニメなどのコラボカードが人気となり『ちいかわさん』(店長の呼び方)のカードは90万人が所有するとのこと。アニメ関係のイベントも好評で、かつてあったDCブランドブームに匹敵するほど人が集まるようになった。
好きに注力し「好きが駆動する経済」を目指すとのこと。

 説明会に来た社員のひとりは中野のマルイボウルに配属されたとのこと。昼休みなどボウリングをしたおかげで当時はアベレージ200ほど。

 屋上にあった遊戯施設は2007年まで稼働していた。地域住民の記憶に残る施設で会った。

 2011年再開して直ぐに東日本大震災が発生した。

 丸井中野店階段に当時の写真などが掲示されているとのこと。また中野丸井本店1階には丸井クレジットカードの歴史などが展示されている。

 丸井に関する質疑応答

・「丸井のゴールドカードからキャラクターのカードに切り替えようとすると、ゴールドの特典がなくなるのはどうしたものか?」これに対して、現状カードは一人一枚。キャラクターのゴールドカードはカード会社もあって作るのが難しいとのこと。

・「新井薬師前にあるパチンコ屋のところに丸井があったと聞いたことがあるが?」に対しては丸井から説明に来た三名もわからず、彼らの内のひとりがスマフォで確認すると数年あったという事実が判明。写真などはない。

・ほかには「街が急速に変化して壊されるのがつらい」「丸井らしい建物も池袋がなくなり消えてしまった。代表的な店舗の建築デザイナーについてWEBであげて欲しい」「駿河屋が中野に来るってことは無いですか?」など盛況であった。

・クレジット歴史館から見える岡本太郎作品

・なかのサンクォーレタワーの定礎。開発前の地図も載っている。建築デサインは石本建築事務所が手掛けた。

 まとめ切れてないのですが、概ねこんな感じ。聴衆は30人ほど。スライドショーもあったり社員さんの丁寧な説明もあり面白い時間でした。

 中野駅南口などの移りゆきの説明もあったのであとでまとめます。