4月19日は天才美少女ニシノフラワーの誕生日でした。スラッとした馬体がステキで当時、いたく惚れ込んだものです。
写真は桜花賞のとき。競馬ブックで印刷して貰ったもので、粒子が出まくり。
たぶんフィルムスキャンしたデーターで、解像度が低い状態で取り込んだのかも。そのときの性能にもよるので致し方ないのでしょう。
桜花賞は的中しているのだけど、金がなくてパネルなど購入できなったのです。結構な金額がしたのですよ。
皐月のサニーブライアンは買えたけど日刊スポーツで一万円したんじゃないかなあ。
そのときの経済状況がアレなので。いまもか。
阪神3歳牝馬ステークス、桜花賞、スプリンターズステークスが彼女のG1勝利。G1みっつはスゴイ。
阪神3歳牝馬ステークスは佐藤正雄騎手を背にして人馬共に初G1勝ち(馬は当たり前なんだけど)
直線で追い出す前に佐藤正騎手がちょっと後ろを振り返るシーンが好きです(今だから)。
当時は「えええ??」となったものです。
河内騎手に手綱がかわった桜花賞。さすが河内騎手という勝ち方。個人的には阪神3歳牝馬ステークスで持って行かれそうになったのを宥めた佐藤正騎手の騎乗も好きなんだけどね。
エリザベス女王杯(京都芝2400)で3着のちに挑んだ中山芝1200mのスプリンターズステークス。
彼女のレースでこれが1番好きです。
4角でサクラバクシンオーがいっぱいになり、ヤマニンゼファーがナルシスノワールを競り落としてゴールするというところ、大外から直線一気の末脚でニシノフラワーがさらっと差し切ってしまう。
ヤマニンゼファーのカツハル騎手も驚いたんじゃないかな。負ける乗り方じゃないもの。
このニシノフラワーの勝利をみて新宿でやっていたバイトをやめて、編集プロダクションに潜り込んでライター家業などを細々と始めたんだよな。
またバイト生活に戻ったけど、サニーブライアンの皐月賞を取ったときに思うところがあり、出版社巡りをしたんだよな。
20年以上出版者で働けたのは楽しかったけど。
結局のところ、上京した年にニシノフラワーが颯爽とデビューして翌年大活躍って言うのが無ければ、心底競馬にはまらなかったかもしれない。
その翌年宝塚記念の本命をニシノフラワーにしたんだよなあ。メジロマックイーンを倒すのはマイルの切れ味ニシノフラワーと判断したのでした。
僕にとっての競馬の神様「東スポ本紙渡辺」先生もニシノフラワーが本命。
スーパー競馬の大川慶次郎氏はニシノフラワーを無印。「G1を3勝している馬を対抗はともかく単穴や連下で印を打つのは失礼な事」とおっしゃっていた記憶。
レースは皆様ご存じだと思います。
あのレースはオースミロッチ松本騎手の奇襲が楽しいレースでした。
そして、ラジオたんぱのアナウンサーとテレビ関西のアナウンサーの実況の差が如実に出てしまったレースでもあります。
それそれで実況の目的に違いがあるので仕方が無いのだけど。
引退レースのスプリンターズステークスもそれはそれでよくぞ3着に来たね。おつかれさまでしたってレースでした。
初仔のニシノセイリュウが皐月賞に進出してきたときは、ニシノセイリュウが皐月賞を勝つと信じたものでした。
僕が死ぬまでニシノフラワーからの血脈で競馬を楽しめるかな。
ニシノデイジーをはじめこれから出てくる孫たちにも頑張って欲しいなあ。